御祭神「須佐之男命」
    そのご事蹟とご神徳


  須佐之男命(すさのおのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の御子で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)(伊勢神宮の内宮におまつりしています)の弟君に当たり、特に勇壮な体格の持主で武勇にすぐれ、心も非常に広く、気丈な性格の神様でした。

  只一人出雲の国(島根県)にお降りになりこの地方を荒す強大な賊を平定させ、須賀という所に宮殿を立て櫛稲田姫(くしなだひめ)をお妃にお迎えになりました。そして付近の国々の住民に農耕・狩猟・植林の方法を教え、土地の開発に力を注ぎ大いに国造りに貢献されました。

  一面、文学の道にもすぐれ

「八雲たつ出雲八重垣妻籠いずもやえがきつまごみに 八重垣つくるその八重垣を」


          雲がもくもくと何重にも立ちのぼります。
          出雲(雲が湧き出るという意)の国に八重垣を巡らすように。
          妻を籠(こも)らすために宮殿に八重垣を巡らしたように。


の歌をつくられ、我が国の和歌の始祖と仰がれている様に、文字通り文武両道に卓越した神様でした。

  日本は古来から豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)と呼ばれてきましたが、それは水田耕作を主要生業としていたからであり、田の神、水の神の信仰が非常に重く見られたのは当然で、須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)退治をしたのも田をおびやかす種々の災害(暴風雨・洪水・その他の天変地災・害物)から耕作物を守る為であり、稲田の宮主を立て、櫛稲田姫を妻とされた事、又その子孫に田の神・水の神が多く存している事など、いずれも農業守護神たる御性格が非常に強く見受けられます。

  人間が日常生活を営む上で、もう一つ大きな障害となるものに病気がありますが、古代これの退散・消除を願うのに、神様の中でも、最も威光が強く、雄々しい性格の持主である須佐之男命に、その信仰を求めたのは当然の成り行きでした。即ち、人間生活に必要な五穀豊穣の祈願と、生を享けたものの宿命である病気から、自分達の安全を祈る事の、この二つの身近な素朴な願いが、須佐之男命信仰に結びつき全国に広まった所以(ゆえん)なのです。

  従前の農耕産業から、近代産業へと転換した今日においても、この須佐之男命信仰がなお拡大重視され、あらゆる産業の守り神、多様な人間界の災害・悩み・不幸から身を守って下さる厄除(災難除)の神様、また和歌の始祖であるところから学問の神様として、我々子孫の繁栄を見守って下さっております。

  私達の祖国日本は、この様に子孫は祖先の限りない大きなお力を渇仰し、祖先は子孫の繁栄を願望し、その間には、美しい心と心のつながりをもって結ばれている国柄です。

  子から父母、父母から祖父母と祖先を順次たどっていきますと、我々日本人は血のつながりとして全国に祀られいる神様のどなたかに、その頂点を仰ぐ事ができるわけです。

  私達の日常すべての生活が、祖先(神様)のおはからいのまにまに過ごさせて頂いている事を感謝し、平和で楽しい社会と家庭づくりを「神様への誓い」として精進したいものです。

☆ 由緒と沿革

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